今週はすごく悲しい出来事がありましたね。
パリのノートルダム大聖堂の火事。
ニュースを見ていて、とても現実のこととは思えませんでした。
私がノートルダム大聖堂に初めて訪れたのはもう30年も前ですが
中世ゴシック建築が大好きだった私は
いまでもあのステンドグラスの美しさをはっきり覚えています。
そして、ノートルダム大聖堂といえば
なぜか思い浮かべるのは
ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」の冒頭部分、
「銀の燭台」に出てくる、ミリエル司教なのです。
ミリエル司教はディーニュという田舎町の実在した司教がモデルになっているとのことで
ノートルダム大聖堂とは関係ないはずなのですが
ヴィクトル・ユゴーの別の作品「ノートルダム・ド・パリ」が
ごっちゃになって結びついたものかもしれません(笑)
この火事を見ていて ふと
その「銀の燭台」に出てくるミリエル司教とジャン・バルジャンのことを思い出しました。
「レ・ミゼラブル」を読んだ当時、教会という場所にあまりなじみがなかった私は
この話のミリエル司教が教会そのもののイメージとして
とても強く印象に残ったのでしょうね。
「銀の燭台」のあらすじはこんなお話。
『姉の幼い子供たちのために一切れのパンを盗んだ罪で
19年間も投獄されていた主人公のジャン・バルジャンは
ようやく出所したものの、元犯罪者ということで
宿も食事も拒絶され 困り果てていた。
そんな中、慈悲深いミリエル司教に出会い
大切な銀の食器の食事で温かくもてなされ 清潔なシーツを敷いたベッドも与えられるが
人を信じられなくなっていたジャン・バルジャンはその夜
司教の大切な銀の食器を盗み出してしまう。
翌朝ジャン・バルジャンは警官に捕まり、警官とともにミリエル司教を訪れるが
司教は怒るどころか
「銀の食器は友人であるこの男にあげたものです。
銀の燭台もあったのになぜ持っていくのを忘れたのですか」とかばい、
ジャン・バルジャンは釈放される。
驚くジャン・バルジャンに対して司教は
「その銀の品々は、あなたが正直な人間になるために使いなさい。」と諭し、
ジャン・バルジャンは19年ぶりに良心を取り戻した。
そしてジャン・バルジャンは苦境を脱するために銀の食器はお金に換えたが、
銀の燭台だけは決して売らずに、大切に持ち続けた。』
この話を読んだ当時はまだ幼く、あまり深く心に響かなかったのだけど
今なら考えさせられることもあるなぁと・・・
私自身はなかなかミリエル司教のような気持ちにはなれませんが(笑)
許すことで、人を変えられることがある・・・
ノートルダム大聖堂の痛ましい事件で思い出したこの話を
ふと 書き留めておきたくなりました。
再建されるのには何年もかかるのでしょうけど
生まれ変わってもまた 人々の心に
いろんな思い出を残してくれることと思います。
当時買ったメダイ。
今のメダイとはデザインも刻印も違いますね。
時代を感じます(笑)