Meglio tardi che mai

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ちょっと調べたいことがあって、短大時代のノートを見返してみたら・・・

(え?学生時代のノートまだ持ってるんか!?って?)

 

専門だったデザイン論や情報媒体論、美術史、のほかに

英語、心理学、物理学、色彩学、宝石学に哲学、京都の芸術史(学校が京都だったから)

なぜか医療系っぽいものまで。

本当に自分がこんなに多岐にわたって学んだのかと疑いたくなるほど、すごい情報量!
(デザイン論。こういう類は丸暗記系)
(図式化しないと暗記できない体質)
(屁理屈並べる哲学系は高校生のときから好きだったかも)
(インテリアを専攻したので空間の勉強は必須)
(「その街並みを見ればその都市がどのように世界を見ていたかがわかる。」)
(「動物は行動の合理化をしない」=納得~~~)
(なぜか古典っぽいものも。得意だった(はず)。)
(哲学や心理学って、どんな分野にも必要なのかも。)
(これは多分、英語の授業)

(漢文?まったく記憶にない(笑))

芸術系だったので午後は毎日実技の実習。

座学は午前中だけなのに、こんなに単位を取ったなんてびっくり。

いや、短大や大学ってみんなそんなものなんでしょうけど、
自分がこんなに頑張っていたことにびっくり。

パラパラとノートをめくっていると、
とくに昔の顔料の話題が面白かったのを思い出しました。
(覚えてなかったけど)
(物理、と聞くと拒否反応起きるけど今見たら面白そう)
(ゴッホの絵具について)

(変な絵具、海鳥の糞とか牛の胆石とかミイラの粉って(笑))

時々落書きのような絵があるのは多分、ノートを貸したりしたときのものかな。
みんな自由に落書きし合いっこしたっけ。

(私のノートにはみんなカモ🦆の絵を描いてくれてた(笑))

(宝石学、これはやっぱり昔から好きだったな~)

 

それにしても、2年分のノートを今見ると内容がすごく興味深い!

当時はどんどん与えられる情報から試験に出そうなものに絞り込んで暗記していくだけ、の学び方。

正直、それらが自分の未来に役立つなんて思わなかったし、
実際にあまり役に立ってきたとは言えない(笑)

 

でもそれは2年間でより多く学ぶために必要なことだったし、
必要な情報を与えてもらえること、その内容の濃さから考えても、
私が学んだ環境はとても贅沢な環境でした。

だけど、短大の2年では、その中から自分の好きなこと、
興味が湧いたものを突き詰める余裕がなかったような気がします。

今だったら、もっと楽しく、面白く、自分が知りたいと思うことを学ぶ術があるのに。

一生懸命授業を受けて、卒業さえすれば立派な社会人になれる気がしていたっけ。

学生時代は学ぶということに対して、力が入りすぎていたのかもしれません。

 

最近、タレントの東貴博(東MAX)さんが、駒沢大学を受験して見事合格された話題がありましたね。

何を学びたいかが明確になったタイミングで学ぶというのは、素晴らしいなあと思いました。

学び方もどんどん進化して
昔は欲しい情報を手に入れる方法も乏しく、新しい知識に触れる機会も限られていたけど、
今はどんな情報も調べ方ひとつで簡単に手に入る。

本当に恵まれた時代になった今だからこそ、
また学びたいという気持ちが湧いてきたのかもしれません。

例えば初めての言語を学んだとき、
一つ覚えるごとに今まで知らなかったことを知れたと、嬉しくなった経験を思い出します。

学ぶ喜びって、シンプルにそれなんだと。

昨年は、今の自分に足りない知識についてしみじみ考えさせられた年でした。

それによって今の自分にがっかりしたり未来に不安を感じることも多かったけど、
今まで知らなかったことに出会うと、もっと知りたい、知らなければ、と思うことや、
面白そう、やってみようかなと思えることもどんどん増えてきました。

 

 

イタリア語で、Meglio tardi che mai

(メッリョ タルディ ケ マイ)

遅くてもやらないよりマシ、みたいな意味だそうです。

 

Twitterで拾った言葉ですが、今の気分にぴったり。

ほらまたひとつ学んだ(笑)

 

学びたい時に学べること。それが可能な時代に生きていることに感謝ですね。

 

今年は「学び」の年。

 

きっかけや動機なんてどうでもいい。

初めて知識が増えた喜びを感じた日のことを思い出して、
何でも楽しく学んでいけたらいいな。

 

 

 

 

 

とかいいつつ、

お正月に始めた弥生会計やエクセル全然進んでないけど~