銀のみち

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昭和初期の時代に タイムスリップの旅に出かけました。

 

場所は 兵庫県朝来市生野町

「生野銀山」として栄えた町です。

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生野銀山は大同2年(807年)に発見され、

室町時代に本格的な採掘が始まったと伝えられています。

 

そんな生野の町にある 「志村喬記念館」は

平成22年、鉱山近くの市街地に残った、4棟の鉱山宿舎を復元した場所にあります。

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明治、大正、昭和の繁栄の時代の面影を残す その記念館は

俳優 志村喬さんの幼少期を過ごした当時の雰囲気を感じることができます。

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ちょうど数日前の24時間テレビで

俳優 岡田准一さんが訪れたシーンが放送されていましたが

この 志村喬記念館は、

志村喬さん 高倉健さん そして岡田准一さんへと

不思議なご縁と絆が結ばれた 大切な場所なのだそうです。

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この縁側に腰掛けていたんですね、岡田准一さんも。

それも、わずか20日ほど前に!!!

もちろん私もここに座って記念撮影しました♡

 

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館内には いたるところに岡田准一さんご来館の証しが(笑)

 

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これが等身大の志村喬さん。

 

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志村喬記念館の中には 志村さんの生い立ちや代表作、遺品などが展示されていて

撮影禁止だったので 外から撮った写真を・・・

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お勝手口からのぞいたところ。

お台所は へっついさん(おくどさん)がおいてありました。

 

私の祖父母の家にもあったわ、へっついさん。

あらためて見ると、日本昔話の世界ですよね(笑)

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家の玄関側。

私が育った田舎も こんな家がまだたくさん残ってたっけ。

ちょっと懐かしい感じがしました。

 

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昔の家って、窓ガラスがないんですよね・・・

開放感が溢れています。

 

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これは何棟目だったか・・・

志村喬さんの家に比べると、かなり近代的になってきています。

 

とはいえ、これでもたぶん 昭和30~40年ぐらい?

 

ここにいると 本当に不思議な感覚に包まれました。

 

自分が知る一番古い記憶の時代を通り越えて

祖父母が生きた 明治~昭和初期という時代、

住んだこともない町なのに、まるでここを知っているかのような懐かしさ・・・

 

この場所は 今回一緒に訪れたアメリカ・ニューヨークに住む友人がきっかけで知ることになったのだけど

日本の歴史、日本の文化、日本人の心・・・

そういう大切なものに あらためて気付けたような気がします。

 

 

私たちが訪れた日は他にお客さんもほとんどなく

静かにゆっくりと見て回ることができました。

 

管理棟のなかでは お茶をいただきながら

24時間テレビの 記念館が関係するシーンの部分を映写機で見せていただいたり。

 

そこに偶然、地元の駅長さん(とおっしゃっていた若い女性)が来られて

駅長さんの帽子と制服を持ってきてくださり

高倉健さんの「ぽっぽや」を気取って記念撮影してみたり・・・

 

そうこうしていると

館内を説明してくださるスタッフの方に加えて、館長まで出てきてくださり

24時間テレビの裏話なども聞くことができました。うふふ♡

 

 

たっぷり3時間はこの記念館で過ごし

あの高倉健さんも訪れたというお店で・・・

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高倉健さんも4年前に食べたという ハヤシライスをたいらげ・・・

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銀山からのトロッコ道の面影を眺めながら橋を渡って

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川の色が コバルトブルー?エメラルド? 神々しい色です。

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ふと見上げると 「姫宮神社」が。

 

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ちょっと階段キツイけど ご挨拶を・・・

 

青黒い羽根のトンボ、「神様トンボ」がお出迎え(^^)

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( 真ん中のちっちゃい黒いのが トンボ!)← 撮影能力の限界・・・

 

 

そういえば さっきハヤシライスを食べたお店の名前も

「ごとんぼ(御とんぼ)」

 

きっと うんと昔からこの場所に生息している 神様の使いなのでしょうね。

 

 

良いお天気なのに 時折小雨が降る 暑すぎもせず

緑に囲まれた山と 澄んだ川の空気のせいか

爽やかな陽気の旅でした。

 

 

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町のなかには 「銀の馬車道」の幟が あちらこちらに・・・

 

 

「 馬が走り出す。

山が一瞬、両側からせりだしてきたように思え、マリーは目を細めた。

家が見える、人がいる、神社がある。

川が傍らをついてきて、風が鳴った。

アカシア並木の一本道は、銀山から飾磨港まで全長50キロにおよぶ。

生野で精錬した銀を馬車に積み込み、大阪の造幣局へと運ばせるために、

この国で最初に作られた官営の道だ。 」

 

 

銀山を検索していて見つけた、

この 生野という場所が舞台になっている小説

銀のみち一条」(玉岡かおる・著)の一節です。

 

今度 この場所を想い浮かべながら

「銀のみち一条」を読んでみようかしら。

 

またまた調べていて見つけたのですが

「銀のみち一条」には 「生野女御(にょご)」 という言葉が登場します。

 

「千年の昔、この山で初めて銀の鉱脈が発見されたその時に、

山の地底深くから銀色に輝きながら現れた守り神。

大同2年のことと言われている。

以後、山の男たちは、危険を冒して山に入り、

美しい女御の姿をしたこの神と、誠心誠意の契りを取り交わすことで銀を得たという」

 

鉱山という厳しい世界で 山の神を崇める気持ちが伝わってきますよね。

 

そしてここ生野という場所が

その山の神様に守られた 特別な場所なんだな・・・ということが よく分かったような気がしました。

 

 

 

あ、そうそう、このブログを読んでくださった方に

こっそりお知らせしておきます。

 

生野という町に行くには (誰ですか、生野に行くの~ってダジャレ言った人は!?)

姫路からJR播但線に乗って行くわけですが

 

 

生野の駅には 改札というのもがありませんでした(笑)

(  ↓ ここに切符を入れて回収するらしい)

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当然、ICOCA も使えませんので ご注意を!

 

 

 

おばあちゃんちに帰省してきたよ・・・っていうような

温かくてゆったりとした どこか時空を超えたタイムスリップのような旅・・・

 

 

私たちが持っていたはずのもの

でも 二度と取り戻せないもの・・・

だからこそ、忘れてしまわないように、何度も何度も触れておきたい・・・

 

それが可能になる場所に

そんな宝物を確かめに行った旅 になりました。

 

 

志村喬記念館のホームページ

http://asago-net.jp/users/kousyataku/index.html

 

Facebookページ

https://www.facebook.com/kousyataku/timeline

 

 

(9月3日追記)

ニューヨークの友人を通じて知り合い、今回一緒に旅をしてくれた

Naomi Angel ちゃんのブログも ぜひ読んでみてくださいね☆

 

生野へ 「人が人を思う大切さ」

http://naomiangel.exblog.jp/24429236/

 

同じ旅をして、それぞれ 違う視点で感じたこと‥・

素敵に綴ってくださいました!
Naomiちゃんの感性の高さ、温かい優しさ、心の大きさがよく伝わってきます。