時間

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いつのまにか、どっぷりと梅雨の季節ですね。

 

ちょっと遅咲きな我が家の紫陽花も咲き始め・・・

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なんと、オリーブの木に 小さな実が付いています。

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大きくなってきて初めて気づいた 実。

新芽だと思っていたのは 小さな実だったのか。

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雨の止み間に 目に飛び込んでくる 鮮やかな 多肉植物の花。

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 こんなふうに庭を見ていても、梅雨、6月、という季節を感じられますね。

 

 

そうそう、梅雨といえば

くせ毛がくるくる ぼわぼわ広がって 大変なんですよね~。

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愛犬の尻尾も いつもよりカールしてます(笑)

 

 

こんな梅雨の季節になると 思い出すことがあります。

 

時間でいうと4年前のことなのに

なんだか 時間も時空も超えた、

現実なのか夢なのか 本当の出来事なのかすらもわからなくなるような

せつないけど なんともいえない温かい記憶。

 

 

それでもやっぱり 時間というのはたしかに存在していて

4年という時間が流れたのも現実で

 

 

その「時間」が 

記憶を 優しくて温かい「思い出」に変えてくれるのだと思うのです。

 

 

・・・・・・・

 

「 時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、
はかってみたところであまり意味はありません。

 

というのは、だれでも知っているとおり、
その時間にどんなことがあったかによって、
わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、
ほんの一瞬と思えることもあるからです。
なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。

そして人のいのちは 心を住みかとしているからです。」

 

 

「 時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、
きわめて不完全ながらも まねて象ったものなのだ。

光を見るためには目があり、
音を聞くためには耳があるのとおなじに、
人間には 時間を感じとるために 心 というものがある。
そして、もしその心が時間を感じとらないようなときには、
その時間は ないもおなじだ。」

 
 ・・・・・・

 

時間 というものを考えてみたとき

ずっと昔に読んだ ミヒャエル・エンデの 「モモ」を思い出しました。

 

時間泥棒から 時間を取り戻すお話ですよね。

 

 

人生から無駄な時間をなくして何でも合理化し

時間の節約をしようとしている現代の私たち。

 

でもね、

 

無駄に過ごしているかのように見える時間でも

時間でしか 解決できないことも やっぱりあるのですよね。

 

 

いまでは この「モモ」を読み返すゆとりもないほど

時間がない!!と感じてしまう私ですが(笑)

 

 

だからこそ、この「モモ」は

子供の時に読んでおいてよかったな・・・と

 

今になって 昔読んだことをふと思い出すことが出来るというのは 

とても幸せなことかもしれないな・・・と。

 

私の時間の使い方は 間違っていなかったのだなと思えます。

 

 

 

 

いまの 私にとって一番大切な「時間」は・・・

 

 

 

そんなことを考えている 雨の日の夜。

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